おお、って思った

修士って本当に発表ばかりです。

何かを詳しくなるというよりは、「人前で話すスキル」とか「準備の仕方」とか「勉強の仕方」とか将来的に実用的な部分が伸びそう。

 

僭越ですが、社会人で人に刺さるプレゼンがしたいとか、そこで悩んでいる人はどこでもいいから大学院に挑戦してみてください。自分が勉強したいことも深められて一石二鳥だと思います。僕はまだまだコミットしきれていないですけど。

 

さて、そんな僕は今日久々に聞く側だけの日でした。相変わらず質問するには知識不足過ぎて恥ずかしくて質問できないんですが。

 

そこで思ったのが、「ん?飛躍してね?」ということ。

 

いままで漠然と人の発表を聞いていただけですが、初めて「なんでこうなった?」って思えたんですね。これは進歩です。

 

いままで疑問にもおもえなかったことが、疑問に思うようになったわけですから。

 

いわゆる受験生が陥る「わからないところがわからない」から「ここがわからなくて進まん」「どうしてそうなった」へと進化を遂げたのと同じですね。

 

非常にうれしい。そしてこれはモチベーションになる。

 

僕のこの先のビジョンは「本質」を見抜ける人間になること。

今僕の周りの人がする質問は言ってしまえば「細かい」。そこ重要?と思う質問が多い。

 

僕はそれよりもっとクリティカルなところに疑問を出せる人間になりたい。そのためには僕の準備の質、そして聞く態度を養わないといけない。

 

時には素人発言をするかもしれないけど、だからこそそれは本質をついてると信じて僕は努力を続けたい。

 

「プレゼン」をしてみて

平泳ぎの動作解析&障害をテーマにプレゼンをしてみました。

 

僕は小さいころからサッカーしかしていません。ほかにできるのは、延長線上的なバレーボールと陸上競技。水泳なんてむしろ苦手だし、平泳ぎなんて一番やりたくない。

 

そんな僕がやってみました。平泳ぎに関するプレゼンを。ペアと共に。

 

動作解析をするからには、動作を期分けします。そして各々期を定義付けし、説明します。そして力学的な側面からも説明します。

ここはペアが担当しました。3項目ぐらいに分かれて各項目5点満点に分けるのですが、大体4点でしたね。

 

続いて、平泳ぎによくある障害とその予防について僕が説明しました。

全く資料が見つからない、、、

頑張ってみつけたコーチ教本を元に作成し、なんとか自分らしく咀嚼する。そんな資料作成になりました。大体ここも4点でした。

修士レベルとなると、オーディエンスが求めるのは「科学的根拠」と「エビデンス」なんですね。自分でもわかっていましたが、やはりここが足りなかった。もっと深堀しなければいけないんですね。このレベルに向けて発表するときは。

 

ただ、自分として嬉しかったのが、「プレゼンそのもの」の評価が皆さん5点をつけてくれたことです。

ジェスチャーがあってよかった」「絵で示してくれてよかった」

ここは僕が一番気を遣っていたところです。

 

自分が調べていても、作っていてもいまいち納得できなかったこと。

それは、聞いている人にはなおさら伝わらないと思うんですよね。

だからこそ、言い回しを、示し方を注意する。

聞いている人が「あー」とか「ほー」って思ってくれることが大事だと思うんです。

 

それが伝わりました。お情けだとしても嬉しいです。

 

もちろんまだまだ内容的にも、また、資料の作成の仕方にしても改善点はまだまだあります。

 

ただ、伝えたいという気持ちは響く。そして、その気持ちがあれば、こだわれる。

 

これに気付けました。よかったです。

 

「自分でつかんだ答えなら、一生忘れない」 福田達也

準備の重要性

皆さんは何かをするときにどれぐらい「準備」をしていますか?

 

そもそも何に準備をしていますか?会社の商談、学校のテスト、デート、遊び、何事も準備をすることでその日、物事は非常にスムーズになるでしょう。

 

僕もたくさん準備をします。塾講師のアルバイトをする時は、その日の授業で何をするか計画を立て、予習し、「準備」します。

 

サッカーをするときは、最高のパフォーマンスをするために身体を動かし「準備」をします。

 

通じるものはその準備の先にある時間で「ベスト」を尽くすという意識です。

 

授業の前の準備が十分でないときは、行き当たりばったりな授業になります。生徒の質問に自信を持って答えられないことも少なくありません。

 

アップが不足したまま試合に出れば、疲労は早く、結果は出ません。

 

コーチをする時に、選手の前で何を話すか準備していないと、何も選手には響きません。

 

時間は自分のものでもあると同時に、共有する人のものでもあるのです。

全員がなるべく100%に近い時間を過ごすためには、絶対に準備が必要です。

 

そのために常に勉強する、思考するを繰り返す。

 

一秒一秒を大切にする。

 

そんな当たり前のことに改めて気づかされました。

初!日本代表観戦

ごきげんよう

 

一昨日先輩にお誘いいただき、埼玉スタジアム2002(全角らしい)へ初の日本代表生観戦をしてきました。

 

感想から言うと、めちゃめちゃ楽しかった。

 

今までは日本代表戦となると偉そうぶって、「〇〇はだめだ」とか「〇〇使え」とかテレビの前で言っていますが(現に最近のコスタリカ戦でもそうだった)、実際見に行くと迫力が違う!

 

僕はレッズと高校サッカーしか埼スタに見に行ったことはなかったので、あんなに青い埼スタは初めて見たし、満員ももちろん初でした。試合開始の時に拍手なんて聞いたことないし、国際試合ということもあり、サポーターの一体感をすごく感じた(ゴール裏でずれはあったものの)。ウルグアイサポの健気な感じもすごくよかった。

 

ちなみに僕は大宮の試合を見るたびにアウェイサポを応援します。

 

一番はやっぱりゴールのところ。浦和ばかり応援してると決めるとほっとするというか、やはり達観してしまうことが多いけど、代表は全然違う。5秒前ぐらいから立ち上がって、全力でガッツポーズ。こんなに喜んだのも見てる分には初だなと。

 

なんてことない親善試合で興奮してるとしたら、テレビで興奮したロシアW杯ベルギー戦の乾のゴールは現地で観戦してたらと思うと半端ない。(大迫後ろからのトラップ失敗)

 

まるで中身がないけど(いつもか)、こんなに楽しかった観戦は初めてかも。

 

内容でいうと、僕は昔から遠藤航が好きなので、見れてよかったし、やっぱりボランチの方が楽しそうだなー、と。これにビルドアップというか、積極的に受けに行くようになったら、もっと面白いかも。

 

あ、だめだだめだ。今日は素直な感想をぶつけるだけだった。

 

いつかW杯行く。夢だー。

研究をするためには?

研究をするまでの手順は非常に奥深いです。

 

僕は今まで自分の気持ちをベースに研究というものを考えていました。

「〇〇だからこの研究をやってみたい」

という感情優先型だったんですね。だからこそまったく計画が進まなかった。

 

この「〇〇」から「この研究をやってみたい」までには多くのプロセスがあるんですね。

例えば、「自分は中学生の時足が速くなかった。だから中学生の足を速くするための研究をしたい」としましょう。

 

漠然としすぎてますね。先週までの僕はこれでした。

 

まずは中学生のスプリント能力について調べなくてはなりません。もっと深く掘れば発育発達に関してまで調べるべきでしょう。次に足が速くなるための要素を抽出しなければならないでしょう。わからないことをやるだけならばそれは趣味です。

 

次にその研究についての歴史を見ます。先人が明らかにしたこと、いまだ不明なこと。それを用いないことには、意味の分からない研究になったり、もうすでに行われた研究を行うことになります。

 

これで初めて背景ができます。

 

ここで目的ができます。「中学生の足を速くするためには〇〇を解明しなければならないのではないか」と。そうすると、その〇〇についての調査も始まり、こうして〇〇を解明するための「方法」が生まれてくるのです。

 

僕はこのプロセスが全く踏めていなかった。踏もうとしていなかったというべきか。

 

今回僕は初めて「あ、これだ」というテーマを見つけましたが、それでもまだ気持ち優先になってしまい、背景と計画がわけわかならなくなっていました。

そこでこのプロセスを学びました。すると、以前よりすんなりと入ってくる。

何がわかっていて、自分がこれから何をすればいいのかが明確になります。

 

まだまだ細部が定まっていませんがこの大枠が決まったことはとても大きい。

 

この先自分がやりたいことは全部これが当てはまると思います。

 

歴史を調べ背景をつかみ、目的を定め、方法を決める。

 

これすごくいいし、楽しいです。

 

 

友情に時間は関係ない

昨日はたった半年間だけ働いた前職の同期と飲みに行きました。(サークルの後輩兼会社の後輩も途中で合流)

彼は入社前からすごかった。大学時はインターンでゴリゴリにビジネスに参画し、大学内外でコミュニティを多く持つ人脈の塊。かといって高飛車には決してならず、自分の意見を持ちつつ、周りの意見を受け入れる柔軟性。入社前には先輩の新卒担当と新しい採用方法を検証し、実行していました。(僕も参加しましたがいただけ)

 

そんな彼がついに自分らしさへの一歩を踏み出すことになりそうです。これはすごく嬉しい。この一歩は彼の想いだけでは成り立たなかった。周囲が彼を認め、やっと道を開けてくれたと解釈しましょう。自分事ではないけどすごく素晴らしいことだし、とても影響を受ける。

 

彼は、常に想いを、考えを口に出す人です。僕は大学時代はそうではなかったこともある。特に夢や希望といったことは不言実行がかっこいいと思っていた典型的な逃げ腰人間だったと思う。今もその節がある。ただ、改めて昨日彼と話したときに、自分にも想いがあることがわかった。自分が踏みこみたい世界、どういう人間になりたいか、環境をどうしていきたいか。話せば話すほど出てくる。

 

今はまだ、自分には何もない。けど、想いを語ることで、よりその想いに向けて一歩を踏み出そうとすることができる。それに向けての行動ができる。

 

自分はまだ想いすら固まっていないけど、ならば欲張ろう。今やってみたいことすべてをできるように全部に手を出そう。

 

まとまらなくなったけど、昨日は自分にとって大きな一日でした。

 

それにしても、よく半年だけしか一緒じゃなかったにも関わらず飲んでくれます。

これは昨日の友人に限らずみんなにあてはまる。感謝です。

 

「生産性のある日々を」

秋学期も1週間が終わりまして

秋学期も一週間が経過し、いよいよ2週目も終了しようというところになりました。

 

さて、今の自分はどうだろうか。先日行われたゼミ発表ではボコボコにされました。自分の知識不足、準備不足、なにより研究に向かう意欲といった姿勢をすべて否定されて気分でした。

ただ、春学期に思っていたことよりもよっぽどクリアな頭を持っていて、自分がやりたことを意志を持ってやり通そうとしているという意味では、進歩したのかなと思います。

 

一方、春より確実に進歩した部分があります。それは「横のつながり」です。前期は正直仕事に追われ、学生にも関わらずほとんど学校に入れず、学校にいたいのにも関わらず、授業があれば逃げるようにキャンパスを出て行っていたので友人ができるはずもありませんでした。

ただ後期は、というより夏を通じて、寂しさとかではなく間違いなく必要なものだと感じました。寂しさもあったけど。

おかげで他ゼミからも刺激を受け、自ゼミからも刺激を受け(少ないけど)、自分が今明らかにしたいこと、将来においてやりたいことを明確にすることができ、とても充実しているのではないかと思います。

 

友達の友達は友達

 

良い言葉だなと思います。つくづく。